真珠のお話
純潔と幸福のシンボルとして世界の人々に愛好珍重された真珠は、遠い昔、今を去ること約五千年前に既に当時のペルシャ湾や紅海で採取された貝の中から発見されたと云われています。
遠くはクレオパトラがその美容を保つ為に酢に真珠を溶かして飲んだというエピソードや、中国で昔、秦の始皇帝が不老長寿の薬として探し求めたとか、或いはかの有名な楊貴妃が真珠を粉末にして常用したとか、他にもアラビアンナイトの物語の中にも真珠の話は度々出て参ります。
また、史実から言っても今尚幾世紀に渉って伝わる英皇帝の王冠に多種の宝石と共に数多くの真珠が使用されているのは、大英博物館を訪れる方々は現実にご覧になる事でしょう。
外国の話のみでなく我が国においても古く万葉集の中にも「白金も黄金も玉も何かせむ」と詠まれた「玉」は真珠の事であると言われておりますし、正倉院の御物の中にも真珠を装飾したものがあります。
このように内外を問わず古くから真珠にまつわる話は数多くありますが、これらの話にある真珠は何れも「天然真珠」であって、外国での物は多くは20~30cm丈の白蝶貝の体内で採取されたもので、時としては黒蝶貝より採れたものもあります。これらの貝の大部分は熱帯、もしくは亜熱帯における海域に分布生息している貝であります。
一方我が国では三重県の英虞(アゴ)湾や愛媛県の宇和海域に多く生息していたあこや貝から採取されたのですが、これらは外国のものに比べてその形状は甚だしく小粒であります。これらの真珠を天然でなく人の手により生きた貝を使って造ることを十九世紀の末頃に中国において研究したと言う史実があり、我が国においても二十世紀の始めに御木本幸吉翁の着想により研究が進められ、 1907年に養殖真珠に成功したのであります。
その後1919年には商品として世に出されたのですが、1912年頃パリとロンドンで日本の養殖真珠は真珠と称することは出来ないという裁判にかけられました。しかし、ジェムソン博士、ブートン博士をはじめ、英国・フランスの学者等の証言によりその組成や諸条件が何ら天然真珠に異ならずと立証されて以来、現在日本の特産品として世界各国に迎えられるに至ったのであります。
この養殖真珠は我が国ではあこや貝に独特の手術を施し、数年間海中で育成して生産するのですが、同様の技術により日本人の技術者によりオーストラリアの木曜島周辺やミャンマー、フィリピン等においても白蝶貝による大粒の養殖真珠生産が行われ高く評価されております。
更にまた、琵琶湖等で淡水産のイケチョウ貝等にて養殖生産された淡水真珠もその特殊性を評価されており、これら養殖真珠の技術が海外に渡り、近年には中国においても広く生産され、我が国にも輸入されております。
戦前には希少価値と上品質により珍重された養殖真珠も戦後、技術の進歩と生産海域の開発により大量に増産され、輸出産業の花形とまで謳われるに至った時代がありましたが、反面品質の低下と過当競争による安値販売が禍して甚だしく流通し、諸外国にてその評価が下がった一時期がありました。
しかし、上品質の物に対する愛好心は国の内外を問わず根強いものがあり、特に近年に至り海域の汚染により自然淘汰的に減産の一路を辿っており、中でも上品質の物の生産は稀少となってきてなってきておりますが、我が国女性の真珠に対する愛好心は年々高まりつつあります。
古来西洋諸国では6月はブライダルムーンとされていると同時に真珠は6月の誕生石として愛好されております。
真珠は円くてキズがなく色沢の豊かなものが最高級とされておりますが、これらはごく稀少であってその価額も高額で、ダイヤモンドやその他の宝石よりも高価なものもあります。
貝という「生き物」が育んでいる真珠の暖かさを、そしてその深遠な輝きを、より多くの人々が実際に手にとって感じて下さることを願って止みません。